医療過誤裁判 私の場合 原告 長男 陳述書 7
最終更新日: 2002年09月16日、 アクセスした日: 12月14日

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1999年 11月 11日
甲第 25号証 原告 長男 陳述書 7

7. 「手術が終わった」と連絡 (1995年6月15日(木))

半田病院には、手術中の患者家族の待合室はなく、廊下の喫煙所に置かれたベンチで、手術が終わるのを待ちました。 父のことが心配になってみんな無言になってしまうので、気分転換しようと、売店からパズル雑誌を3冊買って、みんなでパズルを解きながら待つことにしました。 私は待ち時間を利用して、 K医師からの説明でメモを取りはぐれた部分を思い出しながら補充しました。

手術は、17:00になっても、18:00になっても終わりませんでした。 手術の経過を知らせることもしてくれませんでした。 17:30ごろには、一緒に待っていた他の手術の患者の家族たちもいなくなり、私たち家族だけが取り残され、とても心細かったです。 手術前の説明では、遅くとも18:00ごろには、終了するはずなのです。

19:00ごろ、ようやく 「手術が終わった」 との連絡がありました。 手術前に約束していた切除部分を見せてくれるとのことだったので、手術室に通じるカウンターがある部屋に母と2人で入りました。

切除部分を見せてくれたのは、背の高い (175cmくらいの) 若い医師で、 K医師ではありませんでした。 切除部分の大きさは、切除面が8cm x 4cmの楕円形で高さが 5cmの山形で、饅頭を半分に割った形をしていました。 切除部分のサイズは私の中指(8cm)をあてて計りました。 肝表面の色は赤黒色で、表面はイボのようなデコボコで覆われており、硬そうでした。 癌の部分は、直径2cmの1円玉より少し小さいくらいの円形で、黄土色をしており、あきらかにまわりの部分とは異なっていました。 切断面は、波打っておらず、滑らかに切れていました。 切口の外周部分は焦げていました。 この様子を持参していた手帳にスケッチしました。 私が 「ふちが焦げている」 と指摘すると、その医師は、 「超音波メスで切ったのですが、硬くて切りにくい部分は、電気メスで切りました。 残念ながら、結局開腹しました。 今縫合中です」 と説明してくれました。 「あとどのくらいで会えますか?」 と質問したところ、 「あと30分ほどで会えますよ」 とのことでした。 母と私は安堵とともに、手術室の廊下に戻りました。

ところが、19:30になっても、連絡がありません。 20:35、やっと看護婦に呼ばれ、ICUに入る準備をしました。 全員白衣に着替え、ICU控室で待機しました。 約30分ほど待たされました。

21:00、ICU控え室に看護婦が入ってきて、 「まだ時間がかかるので廊下に戻ってください」 と言われました。 ちょうどそのとき、女性の医師がICUから出てきたので、 「阿部ですが、今、どのような状態ですか?」 と事情を尋ねたところ、足早に立ち去りながら 「担当医に聞いてください。 私はコメントできません」 と、きつい口調で言いました。 担当医からの説明がないから聞いているのに、親切心のかけらもない返事でした。 全く何の説明もないまま廊下に戻され、待つしかありませんでした。

待っている間、母は 「お父さんに、何かが起きている。 何かが起きている」 とブツブツつぶやきながら、震えていました。 私は、母の気を静めようと、 「のんびり屋の父さんのことだから、麻酔が効き過ぎて、ぐっすり寝ているのかもしれないよ」 と言いましたが、私も不安で一杯でした。 しかし、母と妹を不安がらせてはいけないと思い、平静を装いました。 病院から、手術の状況報告は、いっさいありませんでした。

K医師は主尋問で、このとき家族に 「出血が考えられるために手術の必要性についてお話しした」 と述べていますが、そのような説明は一切ありませんでした。

続く


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