医療過誤裁判 私の場合 原告 妻 陳述書 1
最終更新日: 2002年09月16日、 アクセスした日: 12月14日

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1999年 11月 10日
甲第 26号証 原告 妻 陳述書 1

1. 入院前の私たちの生活

私は亡くなった●●●●の妻です。 昭和 46年から民生委員をしております。

私は昭和 31年、●●●●株式会社 (現 ●●●●●株式会社) ●●●●●で働いていた主人と結婚しました。 昭和 44年主人の●●●●●●転勤に伴い、愛知県●●●●●●●に子どもふたりとともに転居しました。 主人は●●●の●●●として花形の職種に就いていました。 作業長として、4組の 3交代勤務者 32名を統括し、工場を 24時間稼動させる役職にありました。

主人は昭和60年、株式会社 T商会に出向し、名古屋支社●●営業所長として、●●●●●●への●●製品の納入に携わりました。 平成 3年、59歳で●●●●●を定年退職後、請われて T商会に転社し、さらに 1年間●●営業所長を勤めました。

主人は平成 4年、T商会を定年退職しました。 家にじっとしているのが嫌で、友人とゴルフをしたり、自治会長兼区長を引き受け地域活動しながら行政協力員として町に協力したり、菊を育てる会を作って会長を務めたりしていました。 また、再就職のため、職業安定所から紹介された簿記の専門学校へ通い、労務士資格試験を受ける勉強やワードプロセッサーのトレーニングを受けていました。

主人は自治会長を受けるにあたり 「この団地に住んで、子供たちが育ち社会人になれたのも、代々自治会を運営して環境を整えてくれた人たちがいたおかげだ。 今自分が会長職を受けることは、万分の一の恩返しになる」 と話していました。

主人は平成 5年、定年退職をきっかけに変えた半田病院で C型肝炎・肝硬変と診断されました。 しかし、普通の人以上に健康的に生活していました。 手術の1〜2ヵ月前の95年 4月25日の農協主催のゴルフ大会で優勝したり、5月13日〜14日、町代表チームの一員として東海4県グラウンドゴルフ大会 (愛知県江南市) に出場したりしていました。

続く


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