医療過誤裁判 私の場合 鑑定書
最終更新日: 2002年09月16日、 アクセスした日: 12月14日

医者にメス 私の場合 インデックス

鑑定書

平成 13年 (2001年) 3月 22日
九州大学大学院医学研究院
教授 M. H.

鑑定事項
一) 肝硬変合併肝癌患者に対する治療法として腹腔鏡下肝切除術を選択するにあたり、主治医が配慮すべき点に関する次の事項につき、平成 7年 (1995年) 当時の医療水準を前提として以下に述べる。

(1) 手術適応の範囲: (肝癌の位置、大きさ、術前の検査数値等)

  1. 肝癌の位置としては、肝臓辺縁で肝表面に位置し、肝区域としては腹腔鏡下に可能な S4、S5、S6、S2、S3 に存在する腫瘍がよい適応である。
  2. 腫瘍の大きさとしては、直径約 4cm 以下が望ましく、絶対的治癒切除術を目標とする。 このために、腫瘍周囲の正常肝組織を少なくとも 1cm 以上含めて切除するが、その際に、肝切除術が残存肝機能に悪い影響を与えない程度を目安とする。
  3. 術前の検査数値としては、肝機能が Child 分類で Child A または、Child B あるいは、臨床病期 I または II に属し、開腹術に移行した際に、開腹手術に耐え得ることを条件とする。

(2) 手術の実施方法: (手術機器の選択等)

  1. 通常の腹腔鏡下手術機器にて準備を終えた後、臍部周囲に約 1cm の皮切を加え、小切開にてトラカールを挿入し、次に腹腔鏡を腹腔内に挿入する。
  2. 肋骨弓に沿って、幅約 1cm の皮膚切開を加え、手術用カンシ挿入のためのトラカールを必要に応じて 3 - 4本腹腔内に挿入する。
  3. 腹腔鏡下手術用超音波プローブにて、腫瘍の部位や肝内転移の有無を確認し、切除ラインを決定する。
  4. 肝切除量が多い際には、肝切離に入る前に、ガス塞栓防止目的で、気腹法から腹壁吊り上げ法に切りかえる。 施設によっては、最初から腹壁吊り上げ法を用いる場合もある。
  5. 肝表面に電気メスにて切除ラインのマークをつける。
  6. 肝切離を施行する。 肝切離は、適宜、電気凝固、マイクロウェーブ針、超音波メス、クリップ、結さつ糸などを用いて施行する。
  7. 肝切離終了後は、切離表面を充分に止血し、必要に応じて各種の止血剤 (フィブリン糊、アビテンなど) を切離面に塗布する。
  8. 切除された肝臓の標本を袋に収納し、体外へ摘出する。
  9. 皮膚切開創を縫合閉鎖して手術を終了する。

(3) インフォームド・コンセントの内容:

    患者の病態、治療の必要性、治療方法の種類、治療の手技・方法、各合併症、治療成績、治療を行わなかった場合の予後と行った場合の予測される予後などを説明する。
    腹腔鏡下肝切除術に関しては、手術内容および効果は従来の開腹術とほぼ同様であり、皮膚切開創が従来の開腹術に比べ小さい、術後の疼痛が少ない、術後の回復が早いことが、患者にとってのメリットである。 しかし、従来の方法に比べて比較的新しい術式であり、腹腔内の癒着が強い場合や、出血などの術中の合併症で、コントロールが困難である時は、従来の開腹術に移行することがあり得ることを説明しておく。
    以上のことを患者及び家族に充分説明し、同意を得る。

(4) その他 (例えば、術者の経験・実績、DIC に対する危険対策等)

    腹腔鏡下肝切除術は、内視鏡下手術の中でも高度の技術を必要とするため、術者は充分に腹腔鏡下手術に習熟し、合併症に対する知識とその対策について充分に対応できることが必要である。
    また、術者は、肝切除術の経験が充分にあり、開腹術に移行した際に、従来の開腹下の肝切除術ができることが必要である。
    但し、上記に関しては、いずれも何例以上の手術経験が必要であるか等の明確な基準および評価方法はない。
    DIC に対する危険対策は、一般的な開腹手術時と同じであり、内視鏡下手術に限った特別なものはない。 肝硬変患者は、肝機能が高度に低化し、血液凝固因子の産生低下、門脈圧亢進症、脾機能亢進、血小板数減少などを合併することが多く、Pre-DIC 状態にあると考えておかなければならない。 特に、血小板数が減少している症例では、術中の出血および止血に充分な配慮が必要である。

二) 手術適応、危険予測等について

(1) 本件は、腹腔鏡下肝切除術の適応であったか。

    本症例の肝腫瘍は、直径約 2 - 3cm で、S6 に限局し、肝表面に位置する単発性の腫瘍であり、肝機能も Child B、臨床病期 II で、開腹下の肝亜区域切除術程度の手術には充分耐術可能であることから、腹腔鏡下肝切除術の適応はあったと考える。
    ただし、血小板数が低く、食道静脈瘤合併など門脈圧亢進症を伴っているため、手術を施行するにあたっては、術前に、血管造影下の脾動脈部分塞栓術、脾臓摘出術、血小板輸血など血小板数を上昇させる必要がないかなど充分な検討が必要と考える。 これに関しては、施設により対処法が異なるので、施設のやり方でこの件に関して充分な検討がなされるべきである。 また、周術期の消化管出血に対する対策も充分に考慮した上で、手術適応を最終的に決定する。

(2) 肝硬変合併肝癌の場合、DIC の危険予測の評価に必要な検査はどのようなものか

    臨床的に、出血傾向の有無 (紫斑の有無、出血時間、凝固時間など) や血中の血小板数、PT 活性値などで DIC 発生の有無および予測はある程度推測可能である。
    臨床的に DIC が疑われる際には、血小板数以外に、さらに APTT、PT 活性値、FDP、フィブリノーゲン、ATIII などの血液凝固線溶系機能検査を施行し、総合的に判断する。

(3) 本件で実施された術前検査によって DIC の発症の危険を否定できるか。

    術前検査値からは、肝硬変、食道静脈瘤、脾機能亢進、血小板数低下 (47,000) が診断され、肝硬変症に伴う出血傾向があることは予測できた。 また、一般に肝硬変症が存在すると DIC になりやすい (Pre-DIC) 状態にあることが知られており、本症例においても、DIC が発症する危険は否定できない。
    しかし、逆に、特別に本症例が通常の肝硬変患者に比べ DIC になりやすい状態であったとか、すでに DIC の状態になっていたとはいえない。
    出血傾向があることを充分に認識した上で、対応策を考慮し、手術の適応は慎重に行うべき症例であったと考える。

(4) 本件肝癌は「肝外発育型」か。

    本症例の肝癌は、術前 CT からみて肝外発育型ではない。

三) 止血処置、出血対策について

(1) 右鑑定事項 二) (1) で、本件症例につき腹腔鏡下肝切除術の適応が認められるとした場合、止血処置の方法ないし出血対策としては、どのような処置・対策が最低限必要となるか。

  1. 止血処置: 最低限必要なものとしては、電気凝固装置、結さつ糸。
    超音波メスがあれば肝実質を破砕し、血管のみを露出することが容易となるので、絶対的に必要なものではないが、あれば望ましい。
  2. 出血対策: 最低限必要なものとしては、電気凝固装置、結さつ糸。
    アルゴンレーザー凝固装置は、にじむような出血があった場合に有効であるので、もし装置があるのであれば望ましい。 フィブリン糊などの止血剤は、実際に出血が起こっている際にはあまり有用ではなく、絶対に必要なものではない。
    腹腔鏡下手術においては、術野が狭く、カンシの動きが制限されるので血管の結さつが必ずしも容易ではないことがある。 したがって、腹腔鏡下手術用のクリップは、止血処置及び出血対策として、是非必要と考える。
    また、血小板数低下に関しては、このままで手術が可能であるかは、肝切除の範囲、予想される手術時間、予想出血量などを考慮して決める。 術前に血小板数を上昇させる必要があるか否か、成分輸血の準備が必要か否か、大量出血したときのために輸血の準備をどの程度しておくかなどの充分な検討が必要である。

(2) ビデオ (乙第 18 号証の 1) の内容および本件手術経過は、乙第 26 号証のビデオ内容と比べて、術前の出血予防措置、術中の止血処置に問題はなかったか。

    本来、肝切除術のやり方が施設によって異なるので、本症例において、術前の出血予防措置や術中の止血処置に問題があったとはいえない。
    しかしながら、本症例では、術前の血小板数が低下していたので、予め極力術中の出血を抑える方法や手段を準備し、実行するのも考え方としてあったのではないか。 例えば、 (1) マイクロウェーブ針を用いて表面を充分に焼いてから肝切離を行う。 (2) 術前血管造影下に脾動脈部分塞栓術や (3) 脾臓摘出術などを施行し、血小板数を上昇させる。あるいは、 (4) 術直前に血小板輸血を施行して充分に血小板数を上昇させてから手術を施行するなど。 ただし、これらの方法は、いずれも充分なコンセンサスが必ずしも得られているわけではなく、施設により異なった見解があるのも事実である。
    本症例は、腸管内のガスが多く、小腸が邪魔をするなど充分な視野を得るのが困難であったこと、肝表面への大網の癒着が強かったこと、術前の肝硬変の程度の予測に反して、予想外に肝硬変の程度が強く、超音波メスの威力が充分に発揮できなかったことなどが重なり、腹腔鏡下に手術を完遂することは難しかったと考えられる。

四) 腹腔鏡下手術と開腹手術について

(1) 腹腔鏡下手術と開腹手術とでは、安全性の面で (止血処置の難易度を含む) どのような相違があるか。

    腹腔鏡下手術と開腹手術の術式上の大きな相違点は、皮膚の切開創の大きさにある。 前者では切開創がわずか 1cm と小さいため、患者にとっては術後の痛みが少なく、回復が極めて早くメリットが大きい。 しかし、一方で、切開創が小さいために、限られたスペースからカンシを挿入して手術を施行しなければならず、カンシの運動制限があり、手術は高度の技術を必要とする。 安全面からすると、とっさの処置が必要となった場合には、開腹術に比べ対処の仕方が限られ、極めて難しくなり得る可能性がある。
    肝切除術においては、出血対策が最も重要なポイントであるが、平成 7年 (1995年) 当時においては、右葉切除術、左葉切除術、拡大右葉切除術、拡大左葉切除術などの大きな手術は腹腔鏡下では施行すべきではないと考えられており、腹腔鏡下で止血が充分可能な肝辺縁に位置する単発性の腫瘍に対する肝部分切除術が適応とされていた。
    従って、大きな血管の処理を必要とする上記の手術を腹腔鏡下で施行しない限りは安全に施行可能と考えられる。

(2) 一般に、腹腔鏡下手術の適応が認められる肝癌患者について、腹腔鏡下手術を実施する場合、どのような事態になったら、開腹手術に移行するのが適当か。

    手術中に突然の合併症 (血管損傷、腸管損傷、胆道系損傷など) が発生し、腹腔鏡下で術者の技術では対処困難と判断された場合には、速やかに開腹術に移行する。
    また、合併症が発生していない時でも、患者の様態が急変し腹腔鏡下手術の続行が困難と判断される場合や、このまま手術を続けると患者の状態が悪化することが予測される場合には、速やかに開腹術へ移行する。
    また、術前の評価では、腹腔鏡下手術の適応と考えられた症例であっても、術中の超音波検査などで、腫瘍が予想以上に大きかったり、重要な血管に接していて腹腔鏡下では手術困難と判断される場合、肝内転移があったりして、予定術式よりも大きな手術が必要と考えられる場合などは当然開腹術へ移行する。

(3) 仮に、本件症例につき、腹腔鏡下手術の適応が認められるとした場合、右 (2) の開腹手術に移行するのに適当な時期は、どの段階だったと考えられるか。

    開腹術への移行時期の判断は、術者の技量により左右されるので、第3者からは術者の技量がわからない限り判定は困難である。
    本症例では、視野が充分にとれず、超音波メスでは有効に切離できなかった時点で、術者によっては、手術続行が困難と判断し、開腹術へ移行したと考えられる。
    少なくとも、止血に長時間要し、出血量が多くなった時点では、腹腔鏡下での止血が困難と判断し、開腹術に移行すべきであったと考えられる。
    本症例では、腹腔鏡下手術開始 3時間後に開腹術に移行しているが、この時点での出血量は、550ml との記載があり、開腹術への移行時点としては妥当であったと考えられる。

五) 死亡原因について

(1) 本件患者の死亡原因は何か

    本症例は、術前検査結果より予測された以上に肝硬変が進行していたために、肝切除術に伴う出血を契機に、急速に肝不全に陥り、血液凝固因子の低下、血液止血凝固異常の出現、止血不能状態となって、DIC の発症を誘発し、多臓器不全となったことが死因と考える。

(2) 本件患者について、DIC は発症しているか。

    再開腹術時の所見から、肝切除断端全面から、さらさらとした血液が、にじむように出血していたことや、圧迫にても止血が困難な状況であったことなどから、DIC の状況になっていたことが推測される。
    さらに、生血の輸血にてドレーンの廃液が固まりはじめた事実や、その後も肝周囲など広範囲に出血傾向が続いていることから DIC が発症していたことが伺える。

DIC を発症しているとした場合、DIC の発症の原因として何が考えられるか。 (例えば、手術侵襲自体、異常出血、肝不全など)

    DIC の発症の原因としては、術前より血小板数が少なく、出血傾向があったこと、肝硬変症があり血液凝固因子の産生が少なかったことに加えて、術中の出血が予想以上に続いたために、血小板や凝固因子の大量の消耗が急速に生じ、生体が対応できなくなり、DIC が発症した可能性が考えられる。
    但し、全出血量は通常の概念からはそれほど大量ではなく、初回手術時に予想以上に肝硬変が強く超音波メスでは肝実質が切れなかった事実から、実際には、術前の肝機能検査の結果とは異なって、肝硬変の程度が進行しており、肝予備能が低下していたことが伺える。 このことが、出血を契機として急速に肝不全に陥り、血液凝固因子の低下、血液止血凝固異常の出現、止血不能状態となり、DIC となったと考えるのが妥当と考える。

(3) 右五 (1) (2) の死亡原因について、予見可能であったとした場合、当該死亡当時の危険性については、術前のインフォームド・コンセントとしてどのような内容の説明を行うのが一般的であるか。

    一般に、肝臓外科手術では、血管損傷による突然の大量出血や、それに続発する止血不能な状態が発生したり、予測不可能な因子による術後肝不全により術後 1ヶ月以内に死亡する可能性があり、必ず死亡の確率、ないしはその危険性があることを述べておく必要がある。

六) 本件症例でエタノール注入法の適応は認められるか。

    エタノール注入法は、腫瘍が超音波検査にて確認でき、腫瘍径が約 2cm 以下で、両葉にまたがらない症例がよい適応となる。 但し、腫瘍の再発率や予後は、施設によりかなり差が認められ、積極的に施行している施設の成績は良好であるが、通常の施設では必ずしも良いとは限らない。 一時期、内科医を中心に、肝切除術によって絶対的治癒が得られたはずの症例までもエタノール注入を施行され、その後に、多発性の再発を認めたり、穿刺部位の再発を生じたり、予後の改善が必ずしも得られない報告が相次ぎ、現在は反省の時期にある。
    一般に、肝腫瘍の治療適応は、必ずしも確立しているとはいえず、その施設で得意とする治療法を選択する傾向が強い。
    従って、本症例の場合は、エタノール治療の適応であったと考える施設もあったであろうし、一方、手術が第一選択であったとする施設もあったと考える。 しかし、どちらの治療を選択するにしても、血小板数が低く、出血傾向が予測されることから、治療の施行に際しては慎重な適応および準備が必要であった。
    インフォームドコンセントでは、本症例にエタノール注入法が適応と主治医が判断したのであれば、手技・方法と、一般的な治療成績、当該病院での実績、合併症、リスク、予後、再発率、他の治療法との比較などについて述べる必要があったと考える。
    エタノール注入法に関しては、上述の如く、やや反省の時期にあり、その施行にあたっては、施設の状況によっても異なってくる。 本症例は、エタノール注入法も相対的適応となったかもしれないが、血小板数低下による穿刺後の出血の危険性や、2cm 以上とやや大きくなってきているため、癌が残存する可能性があること、また、やや表面に近いため肝臓を突抜けて腸管や胆嚢などを誤って穿刺したりする可能性があるなど合併症発生の確率が高いことなどの理由で、ほかに確実な治療法があればその可能性を患者に充分に説明した上で患者に選択させるのが良かったと考える。

七) 本件症例につき、開腹肝切除手術を実施していた場合、3年生存率、5年生存率は、それぞれどの程度だったと推定されるか。

    一般に、肝切除術後の累積 3年生存率 57.5%、5年生存率 40.8% と報告されている。
    但し、1年目での肝癌の再発率は 50%、3年目で 70%、5年目で 80% といわれており、これらの再発時の治療が適切に施行できたと仮定した場合である。 この際には、再発時の肝機能、即ち、肝硬変症の進行の程度によって治療法が制限されてくる。
    また、エタノール注入法を採用していたと仮定した場合、3cm 以下の腫瘍の場合には、良好な成績を出している施設の成績では 3年生存率 73.3%、5年生存率 48.4% である。
    ただし、九州大学の肝切除術の成績では、3cm 以下の腫瘍では 3年生存率 84.8%、5年生存率 58.9%、千葉大学第1内科のエタノール注入療法では、3cm 以下の腫瘍では 3年生存率 59.4%、5年生存率 34.2% となっている。

医者にメス 私の場合 インデックス