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- 介護のあした (信濃毎日新聞社)
目次
(1999年 12月 21日)
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本書は、高齢化率で上位にある長野県に立脚する新聞社が、今年展開したキャンペーンをまとめたものである。
65回にわたった連載企画と、介護保険をテーマとしたフォーラムの詳報が収められている。
地方からの視点に留まらず、「呼び寄せ介護」など都会に住む人に深く関係する事項も含まれている。
本書のシンボルとして描かれているのが、福祉先進自治体「泰阜 (やすおか) 村」である。
長野県下伊那郡泰阜村は、診療所を核に据え、ホームヘルパーと訪問看護婦を充実させ、在宅福祉を徹底して実践してきた。
10年かけて結実させたシステムは入院医療費を抑制し、全国有数の老人医療費低水準を実現した。
しかしそのシステムの経済基盤は、国と県の補助金に大きく依存している。
2000年 4月にスタートする介護保険は、従来の補助金をリセットし、かつ低所得者に対する自治体の介護保険料負担の肩代わりを許さないものである。
この一大転換により、泰阜村の福祉システムは破綻の危機に瀕している。
介護保険の狙いは、在宅介護を基本とし、介護を社会全体で支えるシステムをつくることである。
介護保険というと、これまで要介護認定プロセスの妥当性ばかりがクロースアップされてきた。
しかし本書は「介護保険が、地域の福祉を破壊する!」という悲鳴を発し、介護保険によって転換を余儀なくされる「福祉行政」のあり方を考えさせてくれる。
地方だけじゃない。
住宅環境の悪い都会で「在宅介護」は実現可能なのか?
21世紀、「介護難民」という言葉が流行しなければよいのだが。
- 分娩台よ、さようなら (大野 明子)
目次
(1999年 11月 17日)
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お産の事故は、医療事故の約 1/4 を占めます。
どうやって安全なお産を手に入れるか、お産にあたりどんな知識を持てばよいのか、いろいろな本に解を求めてきましたが、これぞ決定版です。
大野さんは地球化学者でしたが、納得の行かない自身のお産体験から、自分の求めるお産を実現するために産科医になりました。
そして 6年間の勤務医経験後、自宅出産専門で独立開業しました。
お産の真実がわかる本です。
みなさんに、お薦めします。
- 告知 (熊沢 健一)
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(1999年 10月 30日)
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家族の反対もあり、妻になかなか告知できない夫であり主治医である著者。
本人に告知することは残酷か?
小さな子どもに母親が亡くなっていくことを告知することは残酷か?
告知を通して、家族関係を考えることができる本。
- 見慣れた景色が変わるとき (日本ペンクラブ編)
目次
(1999年 10月 4日)
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本書は、ガンと向き合った日本ペンクラブ会員 18名が寄せた手記をまとめたものである。
本書を読んで、医者のガン告知を 3つに分類できることに気がついた。
1つ目は、先に患者の家族に告知し、患者への告知方法を家族に託すパターン。
ガン告知が主流といっても、このパターンが多い。
専門家としての医者の責任を放棄しているようにも見える。
2つ目は、事務的にあっさりと告知するパターン。
若い医者に多くみられる。
告知後の精神的フォローがなく「思いやりに欠ける」とされる場合もあるが、患者や家族が前向きに受け止め、残された時間を有効に使えるケースが多い。
3つ目は、患者との信頼関係を築きながら、情報を小出しにするパターン。
ベテランの医者に多くみられる。
患者が受けるショックは緩和されるが、真実を知らされなかったことに引っ掛かりを感じる場合もある。
最後に「ガンを告知されることは不幸なことである」という思い込みを持っていたら、本書を読んで正してほしい。
ガンを告知されると、見慣れた景色や近くにいる人が、特別なものや人であることに気がつくのである。
近づく死に怯える以上に、今生きていることに感謝するようになる。
人に優しくなれ、家族の絆はますます強くなる。
残された時間が少なくても、自分の人生をきちっと締めくくることができるのである。
- 医師は何をしたか (桐山 やす子)
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(1999年 9月 25日)
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大切な家族が入院中突然亡くなった。
死亡診断書には、それまで聞いたことのない病名が書かれていた−−。
そのようなとき、「本当のことを知りたい」と思わぬ人がいるだろうか?
最愛の母を病院で亡くした著者は、友人の医師の助けを得ながら、母の死の真相を求めて調査を開始する。
カルテ開示法制化が今年 7月先送りされた。
「証拠保全」を除くと、医者の好意による開示に頼らざるを得ない現状では、
「ありのままの患者やその家族の求める情報は手に入らない」
と著者は指摘する。
さらに「遺族に対するカルテ開示」は検討すらなされていない。
著者の
「ずるい医師たちを野放しにして、わけの分からない医療で、最愛の家族を亡くした遺族を納得のいかないままにさせないでいただきたい」
という悲痛な叫びに、医療審議会のメンバーはどう応えるのか。
- 手術室の中は闇 (井上 毅一)
目次
(1999年 9月 19日)
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井上さんは、医療事故が頻発する理由の一つに
「他の病院や医師の医療ミスに気づいても、同業者同士、見て見ぬふりをしてかばいあう閉鎖的な医療界の体質」
を挙げ、特に指導的立場にある大学病院や大病院の責任を追及します。
また、手術の傷痕が目立たない腹腔鏡手術に事故が頻発していることを示し、最新の手術方法を強引に推進する大学病院の方針を厳しく批判します。
手術を受けるときは、井上さんのように家族の立ち会いを認める医師を選びたいものです。
文字どおり、「手術室は闇の中」 なのですから。
- 脳死 ドナーカードを書く前に読む本 (水谷 正)
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(1999年 9月 12日)
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水谷さんは脳神経外科医であり、脳死臓器移植については「慎重な促進派」と自らを称している。
だから、臓器提供者の人権擁護に関心の高い「生命倫理研究会」での活動を通して、脳死を人の死とすることに反対する人々の論理を受容しており、推進派・反対派双方の意見を偏りなく紹介してくれる。
脳死を人の死とすることにより、移植医が殺人の罪に問われる可能性を防ぐための法律を求める医学界と、脳死を人の死とすることには反対するが臓器移植という技術自体は受け入れたいとする生命倫理研究会の論理のぶつかり合いは興味深い。
その結果成立した臓器移植法の特徴を
「人の死が脳死によるものか心臓死によるものかを個人の意思で決められること」
にあると指摘する。
つまりドナーカードは臓器提供だけでなく、脳死を人の死とするかどうかの意思を表示するものであるというのだ。
また本書は、臓器移植法施行後初の脳死患者からの臓器移植について検証を加えている。
著者が指摘する問題は、脳死判定における脳波測定感度の設定ミスと無呼吸テストの実施順序におけるミス、そしてドナーのプライバシー保護についてだ。
しかしそれらの問題の本質に踏み込んでいるとは言えず、医療側の弁護に終始している。
以下のような「不信」が解消されないと、ドナーカードを持つ人は増えないだろう。
- 脳波計を常備しておらず、脳波を正しく測定できない病院を臓器提供施設としてよいのか
- 臨床的脳死判定で、危険性の高い無呼吸テストが実施され、容体が悪化したのではないか
- ドナーカードを持っていたために治療を打ち切られ、移植のため臓器の新鮮さを保つ処置がなされたのではないか
- 脳ドックは安全か (山口 研一郎)
目次
(1999年 9月 4日)
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「ある企業で、年齢 37 〜 62歳までの従業員 260名を対象に脳ドックを実施したところ、MRI・MRA でなんらかの異常が 過半数の 137名に認められた」
という報告が 1998年 第7回 脳ドック学会でなされた。
「有病率が高く出るドックとははたして意味があるのか」
と著者は疑問を投げかける。
そして医者に勧められて受けた予防的手術による被害の数々。
最近、朝日新聞に記者の母が予防的手術を受け、被害に遭った記事が掲載されました。
この本を読んで正しい選択をしていれば、平和な余生を送ることができたでしょう。
5月に紹介した「やっと名医をつかまえた」の著者は、脳動脈瘤破裂を予防する手術中に心臓が停止し、危うく命を落とすところでした。
- 病院に殺される! (別冊宝島 452号)
目次
(1999年 8月 9日)
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「手術での患者取り違えや異物の置き忘れ、点滴ミスだけじゃない!
風邪、かゆみ止め、盲腸、母子ともに健康なお産など、死ぬことなどあるはずがない人たちの被害も続出している!
いいかげんな診療、高圧的で暴言を吐く医師、患者への説明をごまかしたり逃げてばかりいる病院を、野放しにしていてはいけない!」
と表紙に書かれているとおり、医療事故をめぐる現在の日本の医療の裏事情を告発する本です。
- 臓器交換社会 (レネイ・フォックス、ジュディス・スウェイジー)
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(1999年 6月 5日)
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80年代から90年代初頭にかけて、米国では臓器移植の実験・治療が爆発的に増えた。
本書の著者である 2人の社会学者は当時、医療現場の内側に切り込み、臓器移植医療の実態と臓器移植が個人や社会に与える影響を研究した。
第 1章は、臓器移植ブームの弊害について。
1988年末、米国の心臓移植は 131施設で行われるまでに拡大した。
しかし年間の移植実施数が 12未満の施設が 7割にのぼる。
これらの施設では患者の生存率が低いことが確認されている。
少数精鋭の戦力が分散することにより、医療の質は確実に低下するのだ。
日本では 97年以降、生体肝移植がブームとなっている。
統計によれば、上位 3割の施設による実施数は全体の 9割を占める。
下位 7割の施設の平均実施数はたったの 4件にすぎない。
生体肝移植は昨年保険適用となり、施設数・患者数ともに増加傾向にある。
このあたりで施設数の増加に歯止めをかけないと、米国と同じ轍を踏むことになろう。
第 2章は、臓器移植当事者の心理について。
心臓のもらい主に会いたがる提供者の遺族。
その願いは、「愛する人の心臓の音を聞きたい」という衝動にまでエスカレートする。
日本人は火葬場で死者と決別する。
臓器だけが生き残るとき、死者への執着を断ち切れるだろうか。
わが国において、一つ二つと臓器移植を重ねながら、その医学的検証が始まった。
それだけにとどまり、臓器移植が社会倫理や医療経済、そして個人心理に与える影響を考えなくては片手落ちである。
本書は、それらの議論のベースを与える好著である。
- やっと名医をつかまえた (下田 治美)
目次
(1999年 5月 25日)
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「1日 5万円の個室に入れば早く検査を受けられる」と個室料金を稼ごうとする医者。
治療方針に口を挟むと「そんなこというなら帰れッ!」と怒鳴りつける医者。
手術前に 1週間の入院を強要し、不必要な点滴を施す病院。
患者固有の申し送り事項が徹底されない看護システム……。
「このままいたら殺される」。身の危険を感じた著者は、手術前夜、病院から逃走する。
名医を探すのは、まさに命を賭けたアドベンチャーなのである。
勇気を持って医者への畏怖心を振り払い、他人に頼らず自身の感性を信じて医者を選ぶことによって、名医をつかまえた著者の実行力に学びたい。
- 安全学 (村上 陽一郎)
目次
(1999年 5月 4日)
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村上さんは、
「医療において『安全』を議論すること自体が、医療が『安全性』に問題のある『危険』で『不安』な領域なのだ、ということを天下に公表することになるという、愚かな思い込みがあるために、安全性に正面から取り組み、それを社会に訴え、社会全体とともに考えていく姿勢が殺がれている」
と、医療事故を放置する現状を生んだ根本に言及します。
対費用効果を計算した結果、安全対策の不備を「補償」で救済するという公共の考え方に、当事者は割り切れない思いをさせられる。
これをバランスさせるために、
「安全を求めることを個人の権利として認める」
ことを村上さんは提案します。
「安全」にまつわる問題を学問として整理するのによい本だと思います。
しかし、
「世界各国の医薬品の基準をすり合わせる標準化会議で、日本が『安全性』の問題を担当する慣例になっている」
ことをとらえて
「日本の薬品の『安全』に関する基準は、国際的に定評がある」
という意味のことを書くのには、疑問を感じます。
「標準化」とは、「最低ラインを決めること」です。
高水準の国が最低ラインを決めると、日本が反対するから、日本がその最低ラインを決めているのかもしれないのですから。
- インフォームド・コンセント (ニール・ラヴィン)
目次
(1999年 4月 12日)
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原因不明の兄の死をめぐり、医療不信に陥った弁護士 ラース。
その彼を襲う得体の知れない発作。
どこまでが診療で、どこからが研究なのか、大学病院内分泌科専門医の真意を探るラース。
彼が病気に真正面から取り組む姿勢を見せるとき、真のインフォームド・コンセントが始まるのであった。
大学病院で研究と診療を兼務する専門医は、患者とのインフォームド・コンセントとチーム医療を本書から学ぶことができるでしょう。
大ブレイクを予感させる医療サスペンスミステリーです。
- 医療事故 (チャールズ・ヴィンセント 他)
目次
(1999年 3月 22日)
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事故原因を求めて組織を分析し、効果的な安全管理体制を築くために、病院のリスク管理責任者が読むべき本。
本書では、事故発生時の反応によって組織を以下のように分類しています。
あなたの病院は、どの分類?
| 病的な組織 | 危険を否定する |
| 場当たり的組織 | 表面的な失敗を犯した者を訓練し、再発防止策を実施する |
| 生産的組織 | 事故をシステム全体を改良する契機と見なす 潜在的失敗が顕在化する前に取り除く |
- 市場原理に揺れるアメリカの医療 (李 啓充)
目次
(1999年 3月 13日)
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「銭勘定」に終始する日本の医療改革論議。
このまま、市場原理を導入すると、どうなってしまうのか?
日本の近未来像を示すアメリカで、マネージド・ケアによる過剰なコスト圧縮要求の下、患者本位の医療を目指す医者がどのように対抗しているか、適確にレポートしてくれます。
とは言っても堅い話ばかりではなく、医療現場に携わる方々が癒されるような様々なエピソードで満ち溢れています。
私は、「ダナ・ファーバー (抗癌剤過剰投与) 事件」の、
「当事者を責めるのではなく、システムを変えることによって再発を防止する取り組み」
に深く心を動かされました。
- 医者が患者をだますとき (ロバート・メンデルソン)
目次
(1999年 3月 8日)
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1979年米国で刊行された本書が指摘する問題の一つ一つが、現代の日本医療にことごとく当てはまるのに驚きました。
メンデルソン博士は、現代医学を批判するだけでなく、家族を中心とする新医療とそれを支える新医学部構想を提案しています。
このユニークな構想には、日本の医学教育を改革するヒントが盛り込まれています。
- 医療本来の目標を見失う高偏差値の学生を排除し、患者と一緒に過ごすことに関心をもつ学生を選抜する
- 人間性豊かで人と意思の疎通ができる人材を育成する
- 医原病学科を設置し、医療がどのようにして病気や障害を作り出すのか追究する
- 麻酔とインフォームド・コンセント (小坂 義弘)
目次
(1999年 2月 21日)
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小坂さんは、ペインクリニックを施した患者に訴えられ、麻酔治療のインフォームド・コンセントを書面に残すことの重要性を痛感します。
その貴重な経験を麻酔医界に還元すべく、本書を著したバイタリティーに敬服します。
本書は、麻酔の危険性だけでなく、各種外科手術の危険性について客観データを示しています。
したがって、外科手術を受けたり、麻酔治療を受ける前に、患者が本書を読めば、外科医や麻酔科医の意図をよく理解できるでしょう。
ただし、外科医や麻酔科医から「手術や麻酔の危険性」を知らされたら、
「その危険が発生した場合、どのような対策が用意されているのか?」
と質問することを忘れずに。
- レセプトを見れば医療がわかる (勝村 久司)
目次
(1999年 2月 19日)
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1998年、「払いすぎた医療費を取り戻せ」 (メディアワークス)、「患者が求める医療界の意識改革」 (世界 1998年 8月号) と、レセプト開示に関する社会への提言を連発した、「医療情報の公開・開示を求める市民の会」 事務局長、勝村久司さんの活動を集大成する本です。
勝村さんの活動はその後、「カルテ開示法制化」にシフトし、「遺族へのカルテ開示を急げ」 (論座 1998年 11月号)、「厚生省カルテ開示検討会の顛末」 (いのちジャーナル 1998年 10月号) 等で、発言なさっています。
- 「殺人」と「尊厳死」の間で (伊東 政彦)
目次
(1999年 2月 6日)
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医者たちは、植物状態になった患者を「ベジ」と呼ぶ。
「ベジ」を作り、育て続ける伝統的な脳外科医と、「ベジ」を枯らすことを選ぶ筆者ら若手医師。
そして、家族に語られることのない「医療過誤」。
矛盾だらけの診療報酬制度。
脳外科医療の舞台裏を告発する一冊。
- 患者はこうして殺される (浅山 健)
目次
(1999年 2月 4日)
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医療事故により、患者遺族から訴えられた医師が、その事故の真相を、そして医療事故訴訟の舞台裏を赤裸々に語ったのは、初めてのことでしょう。
麻酔科医不足による医療事故がいつ起きてもおかしくない日本の医療。
その医療を変えたい、そして医療被害者ならびに医療加害者を減らしたい、という浅山さんの強い願いが本書を作ったのです。
医療事故報道の中から麻酔事故と推定されている件について、麻酔科医としての見解を述べてくれるのも、医療被害者を支援する立場から、ありがたいです。
- 医療事故の知識と Q & A (上田 智司)
目次
(1999年 1月 10日)
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「人の生命が、医療の進歩あるいは治療という命題のもとに軽んじられることは許されないし、病気が治癒しなかったり、不幸にして身内を失ったからといって、それがすべて医師の責任とされては、治療に携わる医師は患者と接することもできません」
というはしがきで始まる本書は、患者と医者の両者の立場に立って、医療事故に関する問題を解説してくれます。
第1編で、医療事故にまつわる法律の基礎知識を押さえ、第2編で具体的な事例について理解することができます。
第3編に、医療法・医師法等の関連法規とともに 1972年、アメリカ病院協会が承認した「患者の権利章典に関する宣言」を盛り込んでいるのは、丁寧です。