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著者が体験した医と法のエピソード。
パソコン通信を介して、闘病仲間を得、日米の医療文化の差を常に問いかける埴岡さん夫婦。 難病だけでなく、医療ミスも二人を襲います。
医療ミス問題の交渉を進めながら、同じ病院に治療してもらうのは、居心地の悪いものです。 ところがその米国の病院には、品質管理本部が設置されており、その本部長が交渉窓口になり、交渉と治療を分断することを約束してくれました。 病院は医療ミスを認めないものの、再発防止策はしっかりとってしまいます。
こんなシステムを日本の病院も考慮してもらいたいものです。 埴岡さんのホームページは、 http://www.marrow.or.jp/KEN/ 。 (参考: 読売新聞 医療ルネサンス記事 98/01/10)
カルテ開示により、医療の閉鎖性を排除し、医者と患者相互の信頼を築くことが医療訴訟を防ぐ。 さらに、医療事故を事実として認め、そこから問題解決を図る傾向が強くなり、同じ過ちを繰り返さなくなる (医療の質向上) 。 医療事故を隠すと、却って患者の不信感を増幅し、医療訴訟につながる。と本書は指摘する。
本書で、ただひとつ残念なことは、「カルテ開示の法制化」に反対していることである。 カルテの全面開示に消極的な現在の医療界への配慮であろうか。
厚生省の検討会が今年 6月まとめた報告書は、医者への配慮が目立ち、患者の人権を真に保障するには、遺族の扱いなど解決すべき課題が残されている。
「カルテ開示法制化」が早期実現し、「ウソのない医療」が標準化されることを望みたい。
小野寺さんの舌鋒には、医師とは思えぬ鋭さがあります。 98年 6月の厚生省検討会によるカルテ開示法制化報告を「意義の少ない骨抜き起案」と一刀両断。 自身ががん検診センター所長であったにも関わらず、 「効果に問題が多いのに莫大な税金を使っている現行のままのがん検診には必ずしも賛成ではない」。
腰抜けのマスコミにもひとこと。 新聞のコラム担当時、日本の歪んだ医療を示唆する原稿を送ると決まって没になることに抗議。 記者は、 「実は医師会が恐いんです。日本医師会は我々の業界にとってはヤクザよりも恐いんです」 と語ったそうです。
利益のために、不必要な手術を続ける医者の話のところで、ある笑い話を思い出しました。
無医村の村長が苦労して医者を呼んだところ、その医者が村人たちに検診と手術を繰り返し、その村はとうとう「無胃村」になってしまった。これが笑い話ではなく、実際に起こっていることだとは !
小野寺さんが批判を承知で現代医療の貧困を告発した動機は、医療を変えることができる唯一の存在である私たち患者への期待です。 「良い医療を受けるためには、まず日本の医療の現実をよく理解して、その上で病院や医者を選びなさい」 この小野寺さんのメッセージを噛み締めたいと思います。
英米でほとんど使われていないが、日本で繁用されている薬、特に抗アレルギー剤のリストがありますので、自分が飲んでいる薬と照らし合わせてみてはいかがでしょうか。
歯科医の嘘に屈せず、真実を求め、闘い抜いた宮坂さんの記録を、歯科に限らず、医療被害に関心のあるすべての方にお薦めします。
自律した患者のヒントを求め、アメリカの現場を取材。 そのアメリカで知った患者教育プログラムを「国立がんセンター」が実践しているという。 しかし、プログラムを主催する看護婦は、治る見込みのない患者に、治療を受けるよう励ましていた。 情報を与えられず、医師の巧みな誘導にはまる患者たち。
「病院にしがみつく患者」、さらには「科学に依存する社会」に警鐘を鳴らす 1冊です。
また医療関係者に対して、「患者が訴えを起こす一番大きな動機は、医師に対する『許せない』という感情であること」、そして「ミスをしたと気づいたときは、謝る勇気を持ってください」とアドバイスしています。
バーナード・ラウン医師は、実例を挙げながら、患者を癒すための教訓を語ってくれます。 本書は、「医師を目指す学生」以上に、「問診をおろそかにし、患者を薬漬け・検査漬けにするベテラン医師」にお薦めの書です。 私は本書を読み、バーナード・ラウンという医師の存在を知っただけで、医療不信の心が癒されたような気がします。
バーナード・ラウン医師は、誤診により患者を死なせそうになったことが、何回かあります。 1つは、手術後、患者が腹痛を訴えたにも関わらず、DRG (Diagnosis Related Groups)の規定を優先し、外科のレジデントが患者を退院させてしまったところ、縫合不全のため腸が外へこぼれ危篤状態になった、という決定的なものです。
そのようなケースがあったのに、バーナード・ラウン医師は、医療過誤で訴えられことがありません。 その秘密を、ぜひ本書を読んで解き明かしてください。
最後に、翻訳がすばらしく、苦痛なく読めることを付け加えておきます。
その「1点」とは、「胎児の異常による中絶の是非」です。 この点をどのように根津さんが考えておられるのか、本書を読んで理解することができました。 根津さんは、1993年、自ら作成した減胎手術適応基準において、「染色体異常児、奇形児に対しては原則として行なわない」と定めていました。
根津さんは減胎手術に続き、父母以外の精子・卵子を使用する体外受精について、問題を提起しています。 なぜ、日母は根津さんが提起する問題の解決を避けるのでしょうか?
減胎手術をめぐるさまざまな意見の中、新家薫産婦人科医師の 「日本産婦人科学会が『会告』という自主規制により、生殖医療の法規制を免れているという法学者もいる。 あまりにやりたい放題をしていれば、必ず法の規制を受けることになる。 今、我々産婦人科医師に必要なことは、いかにして多胎妊娠の発生を防止するかだ。 生殖医療が敵視され、法的規制を受ければ、生殖医療の進歩が止まってしまう恐れがある」 (1995年11月1日・日母医報 特集) という発言に本質が隠されているのかも知れません。
閉鎖的な医学界のまま、こそこそと先端技術を勝手に進めてしまって、よいのでしょうか? 情報を公開し、正面きって議論し、社会のコンセンサスを形成する、というまともな発想はないのでしょうか?
その背景と意図とは、 「医療先進国で効果が認められた治療法を推進しようと、いくら働きかけても日本の医学界は変われなかった。 それならば、患者が自己決定するに十分な医療情報を提供し、患者主導の医療を後押しすることによって医療界を変えよう」 であると、私は読みました。
本書で近藤誠さんは、実体験を例示することにより、過去の自分の主張を裏付けています。 その実体験の中には、数々の失敗例が含まれています。 「日本の医療の質向上」のために、自分が犯した失敗を敢えて公表する近藤誠さんの「勇気」と「信念」にエールを送りたい。
手術の記録を隠蔽し、摘出された心臓を改ざんし、疑惑を亡くなった同僚に押し付ける。 真実を究明すべき人々は、和田教授をかばう鑑定結果を提出する。 「遺族へのカルテ開示」を頑なに拒み続ける医療界を見ると、「臭いものにふたをする」体質は、この30年間、変わっていないようです。
本書は、「和田心臓移植」の批判だけに終わらず、 「今、すぐそこに迫っている脳死臓器移植がどうあるべきか」 第1線の医療現場からの生の声も取材しています。
ところが、丹羽さんの後援会会長がいずれも地元の医師会長や副会長であるということを知ると、「なあんだ」と思ってしまいます。
指針を取りまとめるに当たって、利害の対立する団体の調整に奔走し、議論が時間切れとなり、課題が先送りされる様子がよくわかりました。
「病院で死んだ子供のレセプトを親が見せてもらえない日本の医療の閉鎖性」。 これを打破するのに、7年もの歳月が必要でした。
この運動の成果を存分に利用し、不正請求の根を絶ちましょう。 そして、誠実な医師に支払うインフォームドコンセントに必要な財源をつくりましょう。 そのためのノウハウが詰まっている1冊です。
それから10年、ようやく日本語訳が発行されました。 日本の医療は、原著が発行された当時の米国よりも悪い状況です。
本書は 「患者が消費者として医療を評価し、医療を改革するのに必要な市民のあり方を学ぶ、格好の教科書」 になると言えます (もちろん、医療の質向上を目指す医療関係者にもお勧めの本です)。
さらに本書は、世界のアトピー治療の最前線を取材し、その患者本意の治療の良い面を紹介しながら、「なぜ同じことが日本でできないのか」と日本の医療制度の欠陥を鋭くえぐっています。
本書を読んで以下のことを学びました。
執筆当時、湘南鎌倉総合病院院長だった鈴木隆夫さんは第4章で、「日本版DRG/PPS」を提唱。 その考えをベースに、米国では一般的な「日帰り手術」を積極的に推進しています。 「EBM (Evidence Based Medicine: 科学的根拠を持った医療)の実践」や「患者中心の発想」の下、担当のケアコーディネーターが職種と職種の橋渡しを担い、医師は専門職として診断・執刀・回診に集中する体制を確立しました。
さらに、日本的DRGにしないためのポイントとして、 「医療機器・材料の流通改善」 「医薬品評価のスタンダードづくり」 「経営感覚のある病院事務職員の養成」 を挙げています。
不正請求をなくしたいと願う結城さんは、 「診療費の定率制」 「患者が診療費全額前払い」 「患者によるレセプトチェック」 を提言しています。
カルテ開示については後向きです。 その理由として、 「患者の身体的特徴など患者に見てもらいたくない事項が書かれているため見せたくない」 「カルテは医者にとってはメモ、独り歩きしはじめ、訴訟に巻き込まれるのは嫌」 「権威主義が無意識に働いているせいかも知れない」 等を挙げています。
しかし残念ながら、「カルテの全面開示を法制化すること」には反対しています。 そのひとつの理由として、「患者の精神的ダメージ」を挙げ、 「末期がんを告知された高僧が落ち込んで早死にした」 という例を間接的に引用しています。 この話はよく耳にしますが、実際にあった話なのでしょうか? 実際にあった話だとしても、「告知して欲しい」という患者の意思を尊重し、告知後、患者の心をケアするのが本来の医療ではないでしょうか?
もうひとつの反対理由として、 「医師に時間的余裕がなく、患者が読めるカルテを書けないこと」 を挙げています。 かかりつけ医とそれをバックアップする救急病院や専門病院の階層構造で地域医療を支えるのならば、患者を他の医師に引き継ぐことが前提となります。 本書では、医療機関が連携を図っている深川医師会の「連携カード方式」を紹介しています。 しかし、「連携カード」をカルテとは別に作成し、カルテと矛盾のないように管理することは、「他人が読めるカルテを書くこと」よりも時間がかからないことなのでしょうか?
患者にカルテを全面開示したくない本当の理由がわかりませんでした。
新聞で、たとえば「県がカルテを全面開示」という記事を読むと、 「いいな。この県は進んでいるな」 などと安易に考えがちですが、それは間違いです。 市民からの要求なくして、行政は変わりません。 「第3章 カルテ開示を求める法的手段 (2) 神奈川県での開示に至る論議」を読むと、「病院の既得権」を保護し、何も変えようとしない県を動かし、「患者の権利」を守ろうとする患者本人や弁護士の活動が手に取るようにわかります。
また、「カルテ開示」を推進するにあたって、「欧米では法制化されているのに、それが日本にないのは先進国として恥ずかしい」という理由を持ち出す人がいます。 「欧米に学ぶ」のは進んですべきことですが、自分たちの権利を獲得するための活動を省いて、「欧米の市民活動の成果」にただ乗りするのはどうでしょう? 「外圧」に頼らず、「内圧」で私たちの社会を変えたいものです。
医師であるがゆえ、どうしても訴訟に踏み切れなかった無念を前作に著した久能さんが、ついに小倉記念病院と主治医を1993年10月提訴。 原告には、被告の裁判での証言が、「でっち上げたシナリオの下で平気で嘘をついている」ようにしか思えない。 しかし、それが嘘だということを証明するのは困難を極める。
読者は、そして裁判官は、どちらを信じたらよいのか? 真実は、どこにあるのか? 巻末に寄せられた近藤誠医師の私的鑑定の説得力が強く、本書を引き締めています。
薬害HIV被害者を「ゴミ」と言い捨てた厚生省官僚が、衆院議員となっただけで低姿勢に転ずる奇妙な現実に驚きながら、「なぜ薬害HIV被害者だけを特別に扱わなければならないのか。公平を期すためにそちらだけ配慮するわけにはいかない」という役人の言葉を「福祉を1歩も前進させない詭弁」と見抜き、薬害HIV被害者救済を突破口として、障害者一般の福祉向上を目指す彼の活動に医療被害者の次のステップを見る思いがします。
「普通のおっさん」家西悟をサポートする人々の存在も忘れてはなりません。
と言って憚らない医師により、 ウェルニッケ脳症 にされた被害者が起こした医療過誤裁判をもとに、なぜ、どのようにしてこの“医原病”が引き起こされたのかをこのレポートは追いかけています。
ビタミンB1欠乏で起こるウェルニッケ脳症が、被害の前年の1991年に実施された「医師国家試験」に出題されているにもかかわらず、「ウェルニッケ脳症はとてもまれな病気であり、思い至らなくてもやむを得なかった」と言い張る医師。
1993年11月「医薬品副作用情報 No.123」に基づき、高カロリー輸液の「適用上の注意」に「ビタミンB1補給」が明記されてからも発生する被害。 つまり、「医薬品副作用情報」も「緊急安全性情報」も薬に添付される「使用上の注意」も何も読まずに患者に接し、投薬、処方する医師がたくさん存在する事実。
背筋が凍りつくような医療現場を露わにする渾身のレポートです。
経済新聞だけあって、「医療費負担問題」を大きく取り上げていますが、相次ぐ医療過誤・薬害の原因となっている「患者の権利法制化の遅れ」や「臨床教育軽視による医療の質低下」に鋭く切り込んでいます。
個々の記事には具体性があり、つまり匿名者による発言がほとんどないため、現実社会をイメージして読み進むことができます。 時間と手間をかけた取材がなされたに違いありません。 「病める医療取材班」の第2弾(たぶん、今取材中なんでしょう)が待ち遠しいです。
医師がふつうの人間であるのと同様に、弁護士だって裁判官だってふつうの人間なのです。 特に裁判官は、結局は「公務員」なのです。 その同じ人間が下す判断を神聖化したり、裁判に過大な期待をかけるのは間違いです。
医療事故問題で知り合った弁護士の言葉を以下に紹介します。
「裁判に正義を求めるべきである。しかし、それは常に実現できるとは限らない」
「裁判は、目的ではなく、1つの手段である。しかし、非常に重要な手段である」
さらに、「医療事故裁判の進め方」や、「患者学(よい医療を受けるのに必要なこと)」を教えてくれます。
「患者側はこのように攻撃して来るから、医師側はこのように対応、または予防すべきだ」という、被害に遭った患者としては、「ムッ」ときそうな部分もありますが、そこは「グッ」と我慢し、「自分の行動指針についてのアドバイスを受け、さらに相手の行動パターンを知ることができる好著」と割り切ります。
医療事故の基礎知識を踏まえ、具体的なトラブルの事例(62件)を診療科目に応じて分類し、医学的な解説とともに問題解決の指針を示してくれます。 しかも、実際にその事例を経験した弁護士が執筆しているので、説得力があります。
医療被害に遭遇した場合、患者は、「その被害が医師の過失によるものなのか」「医師に責任を問えるものなのか」を知る術がありません。 この本で、患者が持つ問題の原因がどこにあるかを切り分け、問題があると確信した場合、本ホームページでも情報を提供している 医療事故相談窓口 に駆け込んではいかがでしょうか。
この本は、私が父の医療事故について名古屋市の「医療事故情報センター」に面談に行った帰り、丸善で平積みされているのを偶然見つけて、手にしたものです。 加藤良夫弁護士は、この「医療事故情報センター」の理事長を務めておられます。
医療過誤訴訟の壁(専門性、密室性、封建制)を説明し、それらの壁を乗り越えるためにすべきことを本書は語ってくれます。 ですから、本書は患者のみならず、患者側に立ってくれる弁護士さんへのメッセージでもあります。
また、医療事故の原因分析から、事故防止対策にまで言及しており、「患者の権利」を含め、医療関係者へのメッセージを提供しています。 特に、医学生や看護学生に、是非読んでいただきたい本です。
本書は、「過去の薬害の検証」から始まり、「薬害を生みだす構造」に迫り、最後に「薬害をなくすための提言」で締めくくっています。 本書を征服した読者は、薬害に関してかなりの「事情通」になれるでしょう。 提言の部分は、医療関係者に読んでいただきたいものばかりです。
著者の浜さんは、「TIP (正しい治療とクスリの情報)」誌の副編集長で、医薬品の安全な使用方法についての研究と情報発信に日々努めていらっしゃいます。 編集長の別府宏圀さんは、日経新聞の「薬 よろず相談」(毎週土曜夕刊)というコラムを連載なさっています。
注: 1997年4月、「薬 よろず相談」は終了し、浜六郎さん執筆の「病院で聞く言葉」が始まりました。
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